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【特集】「瑠璃が誇れる私に」小児がんで娘天国へ…母親が「レモネードスタンド」活動続ける理由(25/06/17)
皆さんは「レモネードスタンド」という言葉を御存じでしょうか。アメリカ発祥の、小児がんと闘う子どもたちのためのチャリティーイベントです。県内では、小児がんで娘を亡くした宇都宮市の母親がこの活動に取り組んでいて、その思いを聞きました。

大田和瑠璃ちゃんは、兄と弟に挟まれた大田和家の唯一の女の子でした。たっぷりの愛情を受け、明るい性格だった瑠璃ちゃんに異変が起きたのは、今から5年前の2020年、3歳の夏でした。

(瑠璃ちゃんの母 大田和涼子さん)
「始まりは瑠璃から「足が痛い」と言われたことでした。病院で受診しても、成長痛かなと。ずっと痛いわけではなくて、たまに痛い、寝る時痛い、という感じで」

繰り返しの発熱もあり、なかなか治らない様子を不安に思った母・涼子さんが血液検査を依頼したところ、小児がんの一種の白血病が見つかったのです。病名は「急性骨髄性白血病」。骨髄で異常な血液細胞が過剰に作られる病気で、原因は分かっていません。進行が速く、多くの場合急に症状が出る病気です。

(母・涼子さん)
「受け入れることができませんでした。テレビの中の話、というか、まさか自分の娘にこんなことが起こるなんて」

突然始まった瑠璃ちゃんの闘病生活。骨髄が一致した長男・春馬くんの協力で骨髄移植や、夫・俊行(としゆき)さんの血液を使った治療も行い、容体は一時安定しましたが、効果は継続せず再発。

「どうにか生きてほしい」。涼子さんは治療のために転院した福島県の病院で、同じ小児がんの子どもがいる親たちと情報共有しながら、他の治療法が無いか模索しました。そこで治験段階の治療法があることを知りました。しかし、この治療を受けるには大きな壁がありました。

大人の治験を終えてからでないと、子どもは受けることができなかったのです。

瑠璃ちゃんは家族の元に戻り、地元の病院に通いながら過ごすことになりました。

(母・涼子さん)
「うちに戻った瑠璃が、自分から「瑠璃ちゃん病気直したい」と言ったんです。どうにか大人の人が治験をクリアしてくれと思っていた。今振り返ると、治験を受けるような病気になる人がいない方がいいのに」

家族と一緒に最後まで白血病と闘い続けた瑠璃ちゃん。闘病生活が始まってから1年8カ月経った2022年3月12日、5歳で空に旅立ちました。

最愛の娘を失い引きこもりがちになっていた涼子さんでしたが、SNSである活動を知りました。それが「レモネードスタンド」という、レモネードを販売した収益を、小児がん支援にあてる取り組みです。

がんと闘うアメリカの少女が、同じ病気と闘う友達との別れを経験していく中で自宅でレモネードスタンドを開き、売り上げを病院に寄付したことが始まりで、日本でも支援の輪が広がっています。

涼子さんは去年6月、瑠璃ちゃんが通っていた保育園で初めて、このイベントを開きました。

(母・涼子さん)
「自分たちのような思いをする家族が無くなってほしいし、今闘病を頑張っている子どもたちや、寄り添う家族にエールを送りたいと思って」

そして、6月14日。日本ではこの日、32の都道府県で一斉に行われ、涼子さんの元には県内外からたくさんの人が訪れました。

(レモネードを購入した人)
「初めて購入しました。少しでも力になれれば」

中には、涼子さんの活動を手伝いに来た人も。

福島県福島市から来た紺野美香さんです。瑠璃ちゃんと同じ小児がんだった息子の蒼汰くんは、同じ病院で同じ時期に治療を受け、母親同士で情報を交換し励まし合っていました。

(紺野美香さん)
「息子も去年7月に空にいってしまったが、涼子ちゃんがレモネードスタンドをやっているということで、私も何かできることをしたいなと」

そして、小児がんで亡くなった子どもたちを思い、午後2時に合わせて全国で一斉にシャボン玉を飛ばし、願いを1つにしました。

涼子さんはいつか、県内で常設のレモネードスタンドのアンテナショップを作りたいと考えています。

涼子さんがレモネードスタンドを始める時に書き留めたノートには「娘が誇れる私に成長したい」とつづられています。レモネードスタンドをする涼子さんの思いの中心には、いつでも瑠璃ちゃんがいます。

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