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【戦後80年】宇都宮空襲で命を守ってくれた「梅酢」毎年終戦の日に飲んで当時をしのぶ(25/08/16)
80年前の宇都宮空襲で命を守ってくれたという「梅酢」を、毎年終戦の日に当時を思い出すために飲んでいる男性がいます。
植木正行さん、89歳は太平洋戦争当時、宇都宮市の中心部、宮町に家族6人で暮らしていました。
今からちょうど80年前の昭和20年7月12日、午後11時過ぎにアメリカ軍のB29が宇都宮の市街地に焼夷弾を落とし、620人以上が亡くなりました。この宇都宮空襲により植木さんの家も被害を受けました。
(植木正行さん)「家は平屋で焼け落ちて、周りは火の海でした」「家の目の前に防空壕があって、そこにそのまま…(火の海で)逃げられない」
家の庭にあった、ちょうど「かまくら」の形をした防空壕に、母、兄、姉、弟の5人で逃げましたが、防空壕の中は火事の熱で「蒸し焼き」状態。この防空壕にあったのが、茶色の土がめに入っていた、母・ナヲさんが作った「梅酢」でした。
(植木正行さん)「防空壕の中に梅を漬けたかめがあって、梅酢を手ぬぐいで浸してしゃぶって、夜が明けるのを待った」「焼け死ぬつもりだった…梅酢の味は今でも忘れられないね」
植木さんは毎年、終戦の日に当時をしのんで梅酢を飲んでいます。母のあとを継ぎ梅酢を作ったのは、3年前に亡くなった妻の悦子さん。悦子さんが作った梅酢を80回目の終戦の日に味わいます。
(植木正行さん)「すっぱい…これが今日ある命の水ですよ。涙が出ます」
「どんな時代が来ても戦争はやるもんじゃない」植木さんは正午の時報に合わせ黙とうを捧げました。
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