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「明治のナイチンゲール」大関和って? 栃木・那須で受け継がれる看護への思い

現在の大田原市で生まれ、明治・大正期に活躍し近代看護の先駆者となった、大関和という人物がいます。4月からNHK朝の連続テレビ小説で主人公のモチーフになる大関和は「明治のナイチンゲール」と称されました。この『地元の偉人』を取材してみると、彼女の意思を現代に引き継ごうとしている人にも出会いました。

大関和は1858年(安政5年)、栃木県の北部・旧黒羽町(現在の大田原市)に生まれます。のちに「明治のナイチンゲール」と呼ばれ、日本の看護の礎を築いた和は、これまで地元の人にもあまり知られていませんでした。いったいどのような人物だったのでしょうか。12年前から大関和を研究している大沼美雄さんに聞きました。

和が看護師を志したのは30歳ごろのこと。国内で看護師を養成するため先駆け的に開設された学校の一つ、東京の「桜井女学校附属看護婦養成所」に1期生として入学し、ナイチンゲールの弟子にあたるアグネス・ベッチから看護学を学びます。

(郷土史家 大沼美雄さん)
「和は日本で初めて看護の専門知識を学んだ『トレインドナース』」。

和は養成所を卒業後、「トレインドナース」として、現在の東大病院や新潟県の知命堂病院で初代看護師長を務めました。そして50歳を過ぎた1909年(明治42年)に「大関看護婦会」を設立。患者のもとへ看護師を派遣する、日本でも有数の訪問看護に特化した看護師会でした。和が患者などに送った直筆の手紙には、和の故郷・黒羽の患者に送ったものもあります。

(郷土史家 大沼美雄さん)
「患者への手紙にはイチゴシロップをお土産に送ると書かれている。病人を思いやる心が表現されている」

和は、自身がはじめて出版した『派出看護婦心得』のほか、新聞や雑誌に寄稿し、看護について記しています。著書には、患者に配慮した食事のレシピが書かれていました。これは「看護において病人が療養するための環境を整えることが大切」だとするナイチンゲールの考え方に強く共感したからだと大沼さんは話します。

(郷土史家 大沼美雄さん)
「病院の中で誠心誠意、全力で働き看護の質の向上に努めた」

和の生まれ育った那須地域に、その意思を受け継ぐ人たちがいます。那須塩原市にある那須看護専門学校。看護師を志す約120人が学んでいます。学校では、入学式や卒業式で地元の偉人として和の功績が語られています。

(那須看護専門学校 屋代隆学校長)
「地元出身の偉人として誇りに思う。看護教育にふさわしい大関和の基本理念を受け継いでいく」

1月14日、那須塩原市の病院では、学生たちが実習を行っていました。腎臓に疾患があり、足がむくみやすい患者を、実習生たちは、足湯をしながら異常がないか入念にチェックしていました。

患者の身の回りのケアも欠かせません。患者が手術に向かった後、ベッドを整え、手術室に届けます。限られた時間の中で、先輩の看護師から指導を受けながらてきぱきと準備を進めます。

実習生に、看護師を志したきっかけを聞いてみると、「母が看護師で誰かのために働く姿がかっこいいと思って看護師になりたいと思った。患者に寄り添ってケアを行える看護師になりたい」と話していました。また、別の実習生は「患者1人ひとりに個性があって病理以外にも個性に合った援助方法が大切。気遣いを行動に移せる看護師になりたい」と話していました。

那須看護専門学校は、来年度「那須短期大学・看護学科」に生まれ変わります。県内での大学・短期大学の新設は27年ぶり。屋代学校長は、短大の開学をきっかけに新たな看護の在り方を提唱していきたいと話します。

(那須看護専門学校 屋代隆学校長)
「『地域協創看護論』を新しく設定しました。病気を持っている方々を地元の医療人が対応。地元で働く看護師を育てていきたい」

那須地域で生まれた新たな看護論。ここで浮かんでくるのは、那須で生まれ、近代看護を切り開いた大関和。屋代学校長は、那須の歴史や和の生涯に触れることで、郷土愛を育んでいきたいと話しています。

(那須看護専門学校 屋代隆学校長)
「和は『報酬をあてにせず、行為それ自体が酬いなのだ』という言葉を残しているという。この理念を発展させていきたい。スタートは大関和です」

「明治のナイチンゲール」近代看護の先駆者・大関和を生んだ那須の大地から、看護の未来が拓かれます。