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東日本大震災で出会った被災地語り部に再び会って聞く「教訓」【特集】

2014年に栃木県をはじめ全国の学生による、東日本大震災の被災地支援活動の取材で出会った、岩手県陸前高田市の「震災語り部」の男性を再び訪ねました。男性は被災者でありながら、避難所の運営を中心になって携わる経験をしました。次の災害への備えとして、私たちが学ぶべきものは何なのでしょうか。

釘子明さん(67)は岩手県陸前高田市で「陸前高田被災地語り部くぎこ屋」として、東日本大震災の語り部活動をしています。地震発生当時、釘子さんはホテルマンをしていて、自宅は津波で全壊。避難所だった公民館も津波にのまれ、高台の中学校で避難所生活をしました。

とちぎテレビは、2014年3月に釘子さんに会いました。栃木県をはじめ全国の学生が被災地支援にあたる「きっかけバス」の取材でした。

(2014年の釘子さん講演)「今集まっている誰も自分の避難所を知らない。これが日本の現状です。避難所に無関心だったことが、災害を大きくした1番の要因です」

(今年3月の釘子さん講演)「避難所だった陸前高田市民体育館で助かったのは4人。100名以上が亡くなりました。ここから歩いて10分ほどの高台に避難した人は助かっています。私たち一人ひとりが避難所に関してあまりにも無関心だった。そのことが、被害を大きくした要因のひとつではないかと私は考えております」

釘子さんの震災の経験で大きかったのは、避難所の設営でした。高田第一中学校には1000人を超える人が避難。プライバシーのない空間で、8月まで5カ月間を過ごしました。当然、もめごとが数多く出てきます。

釘子さんは、自ら中心となって避難所の運営を仕切りました。教室ごとに専用の部屋を作る。何をすべきかの優先順位をはっきり示す。規則正しい生活を全員で送る。子どもたちが取り組み始めると、大人も続いてくれました。

(釘子明さん)「食事を体育館で配る時、市販と炊き出しおにぎりでは売り物の方がおいしそうに見えて、「市販をなぜくれない?」と文句が出てパニックになる可能性があった。弱者の方々に売り物の商品を食べさせたかったので、小学生、中学生、赤ちゃんとその家族の食事部屋を作りました」

(記者)避難所に「組織」という感覚が、普通はなかなか起きないです。

(釘子明さん)「専門の方も入ってもらって組織運営をしてもらった。男性だけだと健康な方を中心に方針を考えがちなので、女性やいろいろな方を入れながら、弱者を基準にして『生き延びることができるような避難所』を作りたかった」

日赤や自衛隊の人が「今まで見たことがない」と話すほど、組織立った細かな運営でした。

釘子さんは、今年は写真展を本格的に全国各地で行うほか、講演活動も行っていきます。

(釘子明さん)「将来災害が起きた際に同じような思いをしないように、皆さんが他人ごとではなく自分ごととして、災害に備えることが必要だよと伝えることをこれからもしていきたいです。最後に、きっかけバスで来た学生の皆さんと会いたい。もしテレビを見ていたら、陸前高田に会いに来てくれたらうれしいです。10年以上たってどう思っているのか聞いてみたいですね」

震災の教訓の風化が叫ばれる中、こうした体験、声を私たちがしっかり学ぶことができるか。いざ「自分が当事者になった時」生かすことができるか。
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