【キャスターがゆく!】栃木県小山市出身 お笑いプロレス会長50代の挑戦 「聖地」満員にできるか?
特集「キャスターがゆく!」今回は飯島誠キャスターが栃木県小山市出身のお笑いプロレス団体会長の「挑戦」を追いました。飯島キャスターも50代。今までの歩みを振り返り、これからのことも考えるようになった時に出会った「夢をかなえようという人」の奮闘ぶりを、自分と重ねて取材しました。
小山市出身の杉田洋さんは、東京・巣鴨のプロレスグッズショップ「闘道館」をメインリングに、お笑いプロレス団体「SUGAMOプロレス」を8年前から運営。25人が所属し、お笑い芸人、レスラーを目指した人もいますが、ほとんどが素人のエンタメ集団です。
彼らはプロレスラーの「似せ者」としてリングネームをまね、客の前でパフォーマンス。80人の小さな会場でコアなファンを獲得していますが、杉田さんは壮大な夢をぶち上げました。定員1500人、後楽園ホールでのイベント開催です。
(杉田洋さん)「とりあえず取っちゃおうと。勢いで」
後楽園ホールと言えば、プロボクシング日本初の世界タイトルマッチ、プロレスの旗揚げ戦など数々の名場面を生んできた場所。ここに似せ者レスラーたちが、しかも勢いで立とうとしています。杉田さんもお笑い芸人のキャリアに区切りを付けました。
駆り立てるものは何なのでしょうか?
(杉田洋さん)「自分がやりたいことをやっていなかったんです。テレビに出ることだけが目標になっていた。ここからやっていければいいんじゃないかって、50歳から新しいお笑いプロレスという道、やっと「やりがいのあるもの」に出会えた。それが40代後半、50歳になって気づけました」
SUGAMOプロレスで十分な収入があるはずもなく、生活のやりくりは厳しい状況。見せてもらった通帳には5千円しかなく、髪の毛はここ10年、奥さんにバリカンで刈ってもらっています。
(杉田洋さん)「給料を妻に払えていない。奥さんの人生もかけているので、ここは真剣勝負で」
リングに上がるメンバーも真剣勝負。本物のリングで練習をします。不慮の事故があったら団体の存続にもかかわります。
本気で女子プロレスを目指したがけがで断念した、リングネーム「中野たたむ」選手、両親ともに去年からがんで闘病中で、親への思いがリングに上がることを決断させたリングネーム「もっSareee」選手などなど。
プロレスへの情熱は痛いほど伝わってきますが…
(杉田洋さん)「遅いよね50じゃね…同級生見ると『新たな挑戦』って何言ってるんだよってなるよね」「メンバーだって賛同してくれる人は半分もいない。SUGAMOで本気になってやっていれば後楽園にも立てる…だから今回の成否は重要なんだよ」
杉田さんは、車が突っ込み大破した宇都宮市のスポーツバー、ラウンド87の復旧支援チャリティイベントにもやってきました。
(ラウンド87 梁嶋正真代表)「挑戦するバイタリティがすごい。私も同級生・同い年なので、チャリティーはありがたいです」
後楽園ホールを満員にしたい。しかし招待客が多ければイベント運営費用は賄えません。最後まで気が抜けません。
そしてついに迎えた9月25日。聖地に降り立ちました。杉田さん、メンバーは興奮が止まりません。
(中野たたむ選手)「女子プロ練習生時代は立てなかったリングです」
(もっSareee選手)「両親が見に来てくれることになりました。本当は体調はよくないんですけど」
いよいよ開場。観客が会場になだれ込みます。たった8人の観客から始まったSUGAMOプロレスは・・・
後楽園「全席完売」を成し遂げました。有名人はいませんが客席からは絶え間ない笑い声。
選手は覚醒し、大技を繰り出します。実況は絶叫に変わります。全員「似せ者」なのに。
(杉田洋さん)「とにかくケガしないようにやりました。54歳の勇気だよね。54にもなってあんなことやって馬鹿だなというのが伝われば…おじさん頑張ってんだと勇気を与えられたのではないかと」
50代の止まらない冒険は、まだまだ続きます。
小山市出身の杉田洋さんは、東京・巣鴨のプロレスグッズショップ「闘道館」をメインリングに、お笑いプロレス団体「SUGAMOプロレス」を8年前から運営。25人が所属し、お笑い芸人、レスラーを目指した人もいますが、ほとんどが素人のエンタメ集団です。
彼らはプロレスラーの「似せ者」としてリングネームをまね、客の前でパフォーマンス。80人の小さな会場でコアなファンを獲得していますが、杉田さんは壮大な夢をぶち上げました。定員1500人、後楽園ホールでのイベント開催です。
(杉田洋さん)「とりあえず取っちゃおうと。勢いで」
後楽園ホールと言えば、プロボクシング日本初の世界タイトルマッチ、プロレスの旗揚げ戦など数々の名場面を生んできた場所。ここに似せ者レスラーたちが、しかも勢いで立とうとしています。杉田さんもお笑い芸人のキャリアに区切りを付けました。
駆り立てるものは何なのでしょうか?
(杉田洋さん)「自分がやりたいことをやっていなかったんです。テレビに出ることだけが目標になっていた。ここからやっていければいいんじゃないかって、50歳から新しいお笑いプロレスという道、やっと「やりがいのあるもの」に出会えた。それが40代後半、50歳になって気づけました」
SUGAMOプロレスで十分な収入があるはずもなく、生活のやりくりは厳しい状況。見せてもらった通帳には5千円しかなく、髪の毛はここ10年、奥さんにバリカンで刈ってもらっています。
(杉田洋さん)「給料を妻に払えていない。奥さんの人生もかけているので、ここは真剣勝負で」
リングに上がるメンバーも真剣勝負。本物のリングで練習をします。不慮の事故があったら団体の存続にもかかわります。
本気で女子プロレスを目指したがけがで断念した、リングネーム「中野たたむ」選手、両親ともに去年からがんで闘病中で、親への思いがリングに上がることを決断させたリングネーム「もっSareee」選手などなど。
プロレスへの情熱は痛いほど伝わってきますが…
(杉田洋さん)「遅いよね50じゃね…同級生見ると『新たな挑戦』って何言ってるんだよってなるよね」「メンバーだって賛同してくれる人は半分もいない。SUGAMOで本気になってやっていれば後楽園にも立てる…だから今回の成否は重要なんだよ」
杉田さんは、車が突っ込み大破した宇都宮市のスポーツバー、ラウンド87の復旧支援チャリティイベントにもやってきました。
(ラウンド87 梁嶋正真代表)「挑戦するバイタリティがすごい。私も同級生・同い年なので、チャリティーはありがたいです」
後楽園ホールを満員にしたい。しかし招待客が多ければイベント運営費用は賄えません。最後まで気が抜けません。
そしてついに迎えた9月25日。聖地に降り立ちました。杉田さん、メンバーは興奮が止まりません。
(中野たたむ選手)「女子プロ練習生時代は立てなかったリングです」
(もっSareee選手)「両親が見に来てくれることになりました。本当は体調はよくないんですけど」
いよいよ開場。観客が会場になだれ込みます。たった8人の観客から始まったSUGAMOプロレスは・・・
後楽園「全席完売」を成し遂げました。有名人はいませんが客席からは絶え間ない笑い声。
選手は覚醒し、大技を繰り出します。実況は絶叫に変わります。全員「似せ者」なのに。
(杉田洋さん)「とにかくケガしないようにやりました。54歳の勇気だよね。54にもなってあんなことやって馬鹿だなというのが伝われば…おじさん頑張ってんだと勇気を与えられたのではないかと」
50代の止まらない冒険は、まだまだ続きます。
