広島・原爆の日から80年 平和の祈り…未来へ 残り火に誓う 栃木県さくら市・東輪寺
広島に原爆が投下されてから80年を迎えた6日、原爆の残り火を灯し続けるさくら市の寺で今年も平和を祈る集いが開かれました。
1945年8月6日。広島はアメリカの原子爆弾の投下を受け、多くの命が失われたほか、美しかった街は壊滅的な被害を受けました。
さくら市鹿子畑の東輪寺で行われた「平和の鐘をつく集い」です。
戦後80年の今年。寺に集まった人たちは、原爆が投下された午前8時15分に合わせて黙とうし、梵鐘を鳴らして平和の祈りを捧げました。
鐘のそばで灯されているのは原爆が投下された後、廃墟となった広島でくすぶり続けていた原爆の「残り火」です。「平和の灯」として守られてきた火を今から25年前に住職の人見照雄さん・77歳が譲り受けました。
(人見照雄住職)「東輪寺に当時、学童疎開で大勢のお子さんが住んでいた。母がよく言っていた。それから戦争で出征し、この地域からも亡くなっている。戦争が終わって80年。一年一年何事もなく過ぎることを願おうじゃないかという呼びかけをしてまいりたい」
また、近くに住む岡崎清治さんは郷土の戦争の歴史について研究していて、伯父を出征先で亡くしています。
(岡崎清治さん)「私も戦争が終わって11年後に生まれた。まったく戦争を知らない世代。伯父は結婚して4カ月で水戸の42部隊に招集されて、1年後にフィリピンで亡くなった。自分の最終的な目標は伯父が眠るセブ島のバランバンで手を合わせること。80年だからやるんじゃない。81年、82年、それが90年、100年と続く。そういうことをやらないとますます戦争から遠ざかる」
(人見照雄住職)「何といっても戦争のない、命を奪い合う、殺し合う、やっぱり平和。そのためにも私もこうして残り灯を灯してまいります。」
この集いは長崎の原爆の日の9日にも行われます。
1945年8月6日。広島はアメリカの原子爆弾の投下を受け、多くの命が失われたほか、美しかった街は壊滅的な被害を受けました。
さくら市鹿子畑の東輪寺で行われた「平和の鐘をつく集い」です。
戦後80年の今年。寺に集まった人たちは、原爆が投下された午前8時15分に合わせて黙とうし、梵鐘を鳴らして平和の祈りを捧げました。
鐘のそばで灯されているのは原爆が投下された後、廃墟となった広島でくすぶり続けていた原爆の「残り火」です。「平和の灯」として守られてきた火を今から25年前に住職の人見照雄さん・77歳が譲り受けました。
(人見照雄住職)「東輪寺に当時、学童疎開で大勢のお子さんが住んでいた。母がよく言っていた。それから戦争で出征し、この地域からも亡くなっている。戦争が終わって80年。一年一年何事もなく過ぎることを願おうじゃないかという呼びかけをしてまいりたい」
また、近くに住む岡崎清治さんは郷土の戦争の歴史について研究していて、伯父を出征先で亡くしています。
(岡崎清治さん)「私も戦争が終わって11年後に生まれた。まったく戦争を知らない世代。伯父は結婚して4カ月で水戸の42部隊に招集されて、1年後にフィリピンで亡くなった。自分の最終的な目標は伯父が眠るセブ島のバランバンで手を合わせること。80年だからやるんじゃない。81年、82年、それが90年、100年と続く。そういうことをやらないとますます戦争から遠ざかる」
(人見照雄住職)「何といっても戦争のない、命を奪い合う、殺し合う、やっぱり平和。そのためにも私もこうして残り灯を灯してまいります。」
この集いは長崎の原爆の日の9日にも行われます。
