「青い目の人形」を見て平和を考えて 鹿沼市が市内に現存する2体を展示
戦前の日本とアメリカの交流の象徴だった「青い目の人形」は、太平洋戦争が始まると「敵国の人形」とみなされ、壊されたり焼かれるなどしました。その一方で、鹿沼市で大切に保存され今も残る人形2体が、12日から鹿沼市役所で展示されています。
鹿沼市役所の1階・多目的ホールで始まった、戦後80年の記念資料展に合わせて「青い目の人形」2体が展示されました。
「青い目の人形」は、1927年・昭和2年に当時悪化しつつあった日本とアメリカの関係回復を目的に、アメリカから全国の小学校などにおよそ1万2千体が贈られ、このうち県内には213体が届きました。しかし太平洋戦争が始まると、「敵国の人形」とみなされて壊され、残った人形は全国でおよそ300体といわれ、県内に残っているのは6体ということです。
今回、展示されているのは中央小学校と粟野小学校に保存されている人形です。中央小学校の人形は、高さ48センチで1968年に学校の倉庫から見つかりました。修理が行われていて、金色の髪や緑色のスカートになっています。
粟野小学校の人形は、高さ35センチで茶色の髪です。昭和30年ごろに日本人形と一緒に倉庫で発見され、1977年に「メリー」と命名されています。どちらの人形も、横にするとまぶたを閉じる仕掛けが施されていて今でも健在ということです。
ほかにも資料展では、1945年の鹿沼空襲の際に実際に投下された焼夷弾や空襲に備えるための鉄の帽子など、およそ20点が展示されています。資料展は今月25日まで開かれています。
鹿沼市役所の1階・多目的ホールで始まった、戦後80年の記念資料展に合わせて「青い目の人形」2体が展示されました。
「青い目の人形」は、1927年・昭和2年に当時悪化しつつあった日本とアメリカの関係回復を目的に、アメリカから全国の小学校などにおよそ1万2千体が贈られ、このうち県内には213体が届きました。しかし太平洋戦争が始まると、「敵国の人形」とみなされて壊され、残った人形は全国でおよそ300体といわれ、県内に残っているのは6体ということです。
今回、展示されているのは中央小学校と粟野小学校に保存されている人形です。中央小学校の人形は、高さ48センチで1968年に学校の倉庫から見つかりました。修理が行われていて、金色の髪や緑色のスカートになっています。
粟野小学校の人形は、高さ35センチで茶色の髪です。昭和30年ごろに日本人形と一緒に倉庫で発見され、1977年に「メリー」と命名されています。どちらの人形も、横にするとまぶたを閉じる仕掛けが施されていて今でも健在ということです。
ほかにも資料展では、1945年の鹿沼空襲の際に実際に投下された焼夷弾や空襲に備えるための鉄の帽子など、およそ20点が展示されています。資料展は今月25日まで開かれています。