「戦争体験初めて話します」87歳女性が伝えてくれた「鹿沼空襲の焼夷弾」
15日は80回目の終戦の日。戦争体験者の声を聞くことが年々難しさを増す中で、宇都宮市に住む87歳の女性が、初めて戦争体験を語ってくれました。
語ってくれたのは、宇都宮市に住む渡邊ケエさん87歳です。
(渡邊ケエさん)「87年の人生で一番記憶に残っているのが、焼夷弾が落ちる光景です」「(記者)誰かに話したことは?」「ありません」
渡邊さんは鹿沼市出身。昭和20年7月12日、国民学校2年生、7歳の時にアメリカ軍戦闘機から焼夷弾が落とされるところを見たというのです。見た場所は鹿沼市酒野谷地区。東山に落ちて山がちょろちょろと燃えるのを見て、子どもだったので「きれい」と感じてしまったそうです。
(渡邊ケエさん)「よく覚えています。不気味だったのかしら。夜の暗い時に山が燃えていたから」
現在、鹿沼市役所では戦後80年の記念史料展が開かれていて、実際に投下された焼夷弾が展示されています。渡邊さんは展示会に足を運び、初めて目の前であの時の焼夷弾を見ました。
鹿沼市でも昭和20年7月12日、1500発もの焼夷弾が落とされ、9人が死亡、256棟が焼けました。渡邊さんはこの時の様子を、人生で初めて語りました。
(渡邊ケエさん)「80年経って話ができたこと…記憶を話せるというのが、私にとっては胸の内の宝をやっと話せたという気がします。ずっと心に収めていて、誰にも話ができませんでした。聞いてくれる人もいない…でも事実はあったんです」
終戦から80年。体験した人からの生の声を聞くことは年々難しくなっています。こうした中でも、今回新たな証言を聞くことができました。戦争を伝え継ぐ、大きな意味があります。
語ってくれたのは、宇都宮市に住む渡邊ケエさん87歳です。
(渡邊ケエさん)「87年の人生で一番記憶に残っているのが、焼夷弾が落ちる光景です」「(記者)誰かに話したことは?」「ありません」
渡邊さんは鹿沼市出身。昭和20年7月12日、国民学校2年生、7歳の時にアメリカ軍戦闘機から焼夷弾が落とされるところを見たというのです。見た場所は鹿沼市酒野谷地区。東山に落ちて山がちょろちょろと燃えるのを見て、子どもだったので「きれい」と感じてしまったそうです。
(渡邊ケエさん)「よく覚えています。不気味だったのかしら。夜の暗い時に山が燃えていたから」
現在、鹿沼市役所では戦後80年の記念史料展が開かれていて、実際に投下された焼夷弾が展示されています。渡邊さんは展示会に足を運び、初めて目の前であの時の焼夷弾を見ました。
鹿沼市でも昭和20年7月12日、1500発もの焼夷弾が落とされ、9人が死亡、256棟が焼けました。渡邊さんはこの時の様子を、人生で初めて語りました。
(渡邊ケエさん)「80年経って話ができたこと…記憶を話せるというのが、私にとっては胸の内の宝をやっと話せたという気がします。ずっと心に収めていて、誰にも話ができませんでした。聞いてくれる人もいない…でも事実はあったんです」
終戦から80年。体験した人からの生の声を聞くことは年々難しくなっています。こうした中でも、今回新たな証言を聞くことができました。戦争を伝え継ぐ、大きな意味があります。