終戦80年 平和への誓い 全国戦没者追悼式 栃木県内から52人参列 「記憶後世に残す活動続ける」
終戦から80年となった15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都内で開かれ、遺族らは先の大戦で犠牲になったおよそ310万人を悼み平和を誓いました。
厚生労働省によりますと事前に参列の意向を示した遺族およそ3400人のうち戦後生まれが53%と初めて半数を超えました。戦争を直接知る世代が減り、記憶継承の在り方が問われています。
政府主催の全国戦没者追悼式が行われた日本武道館では、正午の時報に合わせて全員が黙とうを捧げました。石破首相は就任後初めて参列し、式辞を述べました。
(石破首相)「戦争の惨禍を決して繰り返さない。進む道を二度と間違えない。あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばなりません」
安倍元首相らと同様にアジア諸国への加害責任には触れなかった一方で、「反省」の文言が13年ぶりに盛り込まれました。
そして、天皇陛下がお言葉を読みあげ、今年も「深い反省」に触れられました。
(天皇陛下)「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ、私たち皆で心を合わせ、将来にわたって人々の幸せを希求し続けていくことを心から願います」
遺族代表で陸軍兵長だった父を亡くした、埼玉県の江田肇さん・82歳は追悼の辞で、世界で続く紛争や対立に触れ、「戦後の厳しさを体験しているわが国は、今こそ争いのむなしさ、平和の尊さを訴えることが求められている」と述べました。
最高齢の参列は北海道の長屋昭次さん・98歳で兄が中国で戦病死しました。一方、最年少は三重県の片山純矢ちゃん・3歳で高祖父がアメリカ軍との戦闘で亡くなりました。
また、栃木県内からはおよそ50人の遺族が参列し、鹿沼市の北犬飼中学校3年の根本凛々さんは献花者に花を渡す「献花補助者」を務めました。
伯父がフィリピンのセブ島で戦死した、さくら市の岡崎清治さんは5年前に続いて2回目の参列で、「遺影をバッグに忍ばせてきました。伯父の葬儀は遺骨もなく息子を亡くした祖母は半狂乱だったと聞いています。戦争を知る人が少なくなる中、記憶を後世に残す活動を続けていきます」と話していました。
厚生労働省によりますと戦没者遺族のうち配偶者は新型コロナウイルスが感染拡大していた2021年に出席がゼロになりその後は1人や2人が続いていましたが、今年、参列するとした人はいませんでした。父や母の参列は2011年から途絶えています。
厚生労働省によりますと事前に参列の意向を示した遺族およそ3400人のうち戦後生まれが53%と初めて半数を超えました。戦争を直接知る世代が減り、記憶継承の在り方が問われています。
政府主催の全国戦没者追悼式が行われた日本武道館では、正午の時報に合わせて全員が黙とうを捧げました。石破首相は就任後初めて参列し、式辞を述べました。
(石破首相)「戦争の惨禍を決して繰り返さない。進む道を二度と間違えない。あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばなりません」
安倍元首相らと同様にアジア諸国への加害責任には触れなかった一方で、「反省」の文言が13年ぶりに盛り込まれました。
そして、天皇陛下がお言葉を読みあげ、今年も「深い反省」に触れられました。
(天皇陛下)「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ、私たち皆で心を合わせ、将来にわたって人々の幸せを希求し続けていくことを心から願います」
遺族代表で陸軍兵長だった父を亡くした、埼玉県の江田肇さん・82歳は追悼の辞で、世界で続く紛争や対立に触れ、「戦後の厳しさを体験しているわが国は、今こそ争いのむなしさ、平和の尊さを訴えることが求められている」と述べました。
最高齢の参列は北海道の長屋昭次さん・98歳で兄が中国で戦病死しました。一方、最年少は三重県の片山純矢ちゃん・3歳で高祖父がアメリカ軍との戦闘で亡くなりました。
また、栃木県内からはおよそ50人の遺族が参列し、鹿沼市の北犬飼中学校3年の根本凛々さんは献花者に花を渡す「献花補助者」を務めました。
伯父がフィリピンのセブ島で戦死した、さくら市の岡崎清治さんは5年前に続いて2回目の参列で、「遺影をバッグに忍ばせてきました。伯父の葬儀は遺骨もなく息子を亡くした祖母は半狂乱だったと聞いています。戦争を知る人が少なくなる中、記憶を後世に残す活動を続けていきます」と話していました。
厚生労働省によりますと戦没者遺族のうち配偶者は新型コロナウイルスが感染拡大していた2021年に出席がゼロになりその後は1人や2人が続いていましたが、今年、参列するとした人はいませんでした。父や母の参列は2011年から途絶えています。
