【報道特集】ALSと闘う鈴木諭さん 「また食べたい」 声を失っても自分らしく生きる
車から降りてきた車椅子の男性。
助けを借りて、向かった先は獨協医科大学病院です。
検査のためです。
ALS・筋萎縮性側索硬化症と闘う鈴木諭さん50歳です。
のどの筋肉が衰え、今はほとんど声を出すことができません。
調理師だった鈴木さんは8年前の2018年、一人娘の幼稚園の運動会で異変が起きました。
左足がもつれて、10メートル走ることができなかったのです。
徐々に歩くことが難しくなり、整形外科、内科と様々な病院を転々としましたが、病名はわからないまま。
それから1年後の2019年、神経内科での検査を経てALSの診断を受けたのです。
43歳の時でした。
ALSとはどんな病気なのか。
獨協医科大学脳神経内科の藤田裕明准教授に伺いました。
獨協医科大学脳神経内科 藤田 裕明准教授:
「体の中にある運動神経が障害される病気。手足の筋力の低下、しゃべりにくくなる、ものが飲み込みにくくなる、呼吸が弱まるといった症状。日本のALSの患者数は約1万人。現在根本的な治療法はなく、病気の進行を遅らせる治療が主になる」
鈴木さんを支えるため、自宅は妻の肖娜さんが自治体の助成金を活用し、環境を整備しました。
その一つがトイレに行くための福祉用具です。
助けは必要ですが、自分で用を足していました。
もう一つがお風呂。
ハーネスで吊り下げられながら湯船にしっかり浸かります。
食事は「胃ろう」です。
飲み込む力が衰えたことで口からの食事に恐怖を覚え、去年9月ごろから導入しました。
小学校5年生の娘、青児さんが、時に介助者として、お父さんを明るく支えています。
鈴木さんは今年の春、重大な決断をしました。
手術を受けることにしたのです。
「喉頭全摘出術」。
気管切開を前提とし、発声、呼吸の調整、嚥下の安全性を担う重要な器官「喉頭」全てを摘出するものです。
手術によって食道と気道が分離されるため、口からものを食べても誤嚥しない構造になります。
鈴木さんは「胃ろう」ではなく、また好きなものを口から食べたいと願っていました。
しかし簡単に踏み切ることはできませんでした。
手術をすることで「声」を失ってしまうのです。
普段、会話は家族や訪問介護員などが鈴木さんの口元に耳を近づけて声を聞き取ります。
訪問介護員の野沢 忠司さん:
「単語のやり取りしかできない。諭さん伝えたいことがあるんだろうなと思うことはいっぱいある。これまで会話してきた中で、きっとこう思って伝えていると勝手ながら思って聞いてみたりして。諭さんなりにいっぱい伝えてくださっている。少しでもキャッチして寄り添いたい」
ALSの診断を受けてから5年後、2024年の講演会でも、声を出して話をすることはできていました。
鈴木諭さん:
「私にはやり残したことがあります。妻に恩返しをするまで生きたい」
しかし今年に入ると、鈴木さんは首から下をほとんど動かすことができず、のどの筋肉の萎縮も進み、声を出すのも難しい状況に進行していました。
手術をすれば口から物を食べられる。さらに。
獨協医科大学耳鼻咽喉・頭頸部外科 平林 秀樹特任教授:
「首の前のところに永久気管孔の穴をあける。自分で呼吸ができるうちはカニューレ(管)などを入れなくてよいが、もし人工呼吸器が必要になるときはいつでもここにカニューレ(管)を入れて人工呼吸器をつなぐことができる」
ALSは徐々に呼吸が難しくなり、人工呼吸器装着の選択を迫られます。
今後を考えると手術は最も良い選択です。
鈴木さん自身も、病状が進行して呼吸が難しくなった時に装着しようとは考えていました。
やってきた決断の時。
鈴木さん、食べることは生きる楽しみ、「自分らしさ」だと考えました。
手術を経験したALSの仲間から励ましも受け、体力があるうちにと、手術を受けることにしたのです。
獨協医科大学耳鼻咽喉・頭頸部外科 平林 秀樹特任教授:
「何も食べられないで胃ろうだけで全部やっていくのはすごくストレス。全量口からは難しいかもしれないが好きなものを食べて、胃ろうからも入れられる。いろいろな方法がある」
手術を控えた鈴木さんはこの日、小学5年生の青児さんが通うダンススクールの発表会に訪れました。
首でリズムを取りながら、肖娜さんと温かく見守ります。
元気をもらった鈴木さん。
4月1日、手術前日。
入院生活が始まりました。
野沢さんたち訪問介護事務所のスタッフが、応援動画をサプライズで作ってくれました。
本当に手術をするべきか・・・前日まで悩みましたが決心がつきました。
訪問介護員の野沢 忠司さん:
「次目覚めるまで、いろんな思いもあると思うが、僕たちは在宅で待って、もっともっと諭さんが過ごしたい生活をサポートできるように頑張ろうと思う。そんな思いで見送りました。諭さん頑張ってください」
鈴木さんの妻 肖娜さん:
「気管切開して生きてて良かったと思うような人生にできるように、生活環境を整えてあげたい」
手術直前、鈴木さんに思いを聞きました。
鈴木 諭さん:
「新しい人生の始まりですね。春らしくそんな気分です」
そして・・・こう、話したのです。
鈴木 諭さん:「ありがとう」
手術から1か月後。
退院した鈴木さんは家族で久しぶりに外に出ました。
声を出して会話をすることはできませんが、家族の絆がコミュニケーションをカバーしています。
青児さんは鈴木さんの入院中、視線の動きでコミュニケーションを図る文字盤の使い方を練習していました。
これからは文字盤で会話ができそうです。
鈴木さんは、少しずつですが食事を口から取れるようになりました。
中華丼もこの通りです。
病気の進行を止めることはできません。
しかし、自分らしく生きることはできます。
鈴木さん・・・自ら口にしていた「第2の人生」が始まりました。
助けを借りて、向かった先は獨協医科大学病院です。
検査のためです。
ALS・筋萎縮性側索硬化症と闘う鈴木諭さん50歳です。
のどの筋肉が衰え、今はほとんど声を出すことができません。
調理師だった鈴木さんは8年前の2018年、一人娘の幼稚園の運動会で異変が起きました。
左足がもつれて、10メートル走ることができなかったのです。
徐々に歩くことが難しくなり、整形外科、内科と様々な病院を転々としましたが、病名はわからないまま。
それから1年後の2019年、神経内科での検査を経てALSの診断を受けたのです。
43歳の時でした。
ALSとはどんな病気なのか。
獨協医科大学脳神経内科の藤田裕明准教授に伺いました。
獨協医科大学脳神経内科 藤田 裕明准教授:
「体の中にある運動神経が障害される病気。手足の筋力の低下、しゃべりにくくなる、ものが飲み込みにくくなる、呼吸が弱まるといった症状。日本のALSの患者数は約1万人。現在根本的な治療法はなく、病気の進行を遅らせる治療が主になる」
鈴木さんを支えるため、自宅は妻の肖娜さんが自治体の助成金を活用し、環境を整備しました。
その一つがトイレに行くための福祉用具です。
助けは必要ですが、自分で用を足していました。
もう一つがお風呂。
ハーネスで吊り下げられながら湯船にしっかり浸かります。
食事は「胃ろう」です。
飲み込む力が衰えたことで口からの食事に恐怖を覚え、去年9月ごろから導入しました。
小学校5年生の娘、青児さんが、時に介助者として、お父さんを明るく支えています。
鈴木さんは今年の春、重大な決断をしました。
手術を受けることにしたのです。
「喉頭全摘出術」。
気管切開を前提とし、発声、呼吸の調整、嚥下の安全性を担う重要な器官「喉頭」全てを摘出するものです。
手術によって食道と気道が分離されるため、口からものを食べても誤嚥しない構造になります。
鈴木さんは「胃ろう」ではなく、また好きなものを口から食べたいと願っていました。
しかし簡単に踏み切ることはできませんでした。
手術をすることで「声」を失ってしまうのです。
普段、会話は家族や訪問介護員などが鈴木さんの口元に耳を近づけて声を聞き取ります。
訪問介護員の野沢 忠司さん:
「単語のやり取りしかできない。諭さん伝えたいことがあるんだろうなと思うことはいっぱいある。これまで会話してきた中で、きっとこう思って伝えていると勝手ながら思って聞いてみたりして。諭さんなりにいっぱい伝えてくださっている。少しでもキャッチして寄り添いたい」
ALSの診断を受けてから5年後、2024年の講演会でも、声を出して話をすることはできていました。
鈴木諭さん:
「私にはやり残したことがあります。妻に恩返しをするまで生きたい」
しかし今年に入ると、鈴木さんは首から下をほとんど動かすことができず、のどの筋肉の萎縮も進み、声を出すのも難しい状況に進行していました。
手術をすれば口から物を食べられる。さらに。
獨協医科大学耳鼻咽喉・頭頸部外科 平林 秀樹特任教授:
「首の前のところに永久気管孔の穴をあける。自分で呼吸ができるうちはカニューレ(管)などを入れなくてよいが、もし人工呼吸器が必要になるときはいつでもここにカニューレ(管)を入れて人工呼吸器をつなぐことができる」
ALSは徐々に呼吸が難しくなり、人工呼吸器装着の選択を迫られます。
今後を考えると手術は最も良い選択です。
鈴木さん自身も、病状が進行して呼吸が難しくなった時に装着しようとは考えていました。
やってきた決断の時。
鈴木さん、食べることは生きる楽しみ、「自分らしさ」だと考えました。
手術を経験したALSの仲間から励ましも受け、体力があるうちにと、手術を受けることにしたのです。
獨協医科大学耳鼻咽喉・頭頸部外科 平林 秀樹特任教授:
「何も食べられないで胃ろうだけで全部やっていくのはすごくストレス。全量口からは難しいかもしれないが好きなものを食べて、胃ろうからも入れられる。いろいろな方法がある」
手術を控えた鈴木さんはこの日、小学5年生の青児さんが通うダンススクールの発表会に訪れました。
首でリズムを取りながら、肖娜さんと温かく見守ります。
元気をもらった鈴木さん。
4月1日、手術前日。
入院生活が始まりました。
野沢さんたち訪問介護事務所のスタッフが、応援動画をサプライズで作ってくれました。
本当に手術をするべきか・・・前日まで悩みましたが決心がつきました。
訪問介護員の野沢 忠司さん:
「次目覚めるまで、いろんな思いもあると思うが、僕たちは在宅で待って、もっともっと諭さんが過ごしたい生活をサポートできるように頑張ろうと思う。そんな思いで見送りました。諭さん頑張ってください」
鈴木さんの妻 肖娜さん:
「気管切開して生きてて良かったと思うような人生にできるように、生活環境を整えてあげたい」
手術直前、鈴木さんに思いを聞きました。
鈴木 諭さん:
「新しい人生の始まりですね。春らしくそんな気分です」
そして・・・こう、話したのです。
鈴木 諭さん:「ありがとう」
手術から1か月後。
退院した鈴木さんは家族で久しぶりに外に出ました。
声を出して会話をすることはできませんが、家族の絆がコミュニケーションをカバーしています。
青児さんは鈴木さんの入院中、視線の動きでコミュニケーションを図る文字盤の使い方を練習していました。
これからは文字盤で会話ができそうです。
鈴木さんは、少しずつですが食事を口から取れるようになりました。
中華丼もこの通りです。
病気の進行を止めることはできません。
しかし、自分らしく生きることはできます。
鈴木さん・・・自ら口にしていた「第2の人生」が始まりました。
