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那須雪崩事故から8年 息子失った後悔・登山の道へ 母親の再発防止への思いは

2017年3月、那須町で登山講習中だった大田原高校の生徒7人と教諭1人が亡くなった雪崩事故から27日でまる8年を迎えました。「山の安全」への様々な問題を投げかけた雪崩事故。再発防止のためにできることは。家族は、愛する我が子が好きだった登山の道をたどり、答えを探し続けています。

今月22日、那須町の事故現場の近くでは、大田原高校山岳部のOBや現役の部員など、およそ20人が手を合わせ8人を悼みました。この日は雲一つない青空が広がり、時折強い風が吹いていました。

参加者の一人、浅井道子さん(59)です。8年前、当時高校2年生で17歳だった息子の譲さんは、雪崩に巻き込まれ亡くなりました。

(浅井道子さん)
「今年も会いにこれてよかった。ありきたりな言葉ですが、譲に会いたいと思いました」

事故の1カ月前、譲さんは両親が行けなかった妹の授業参観に参加しました。学校から急いで帰り参加したといい、優しく誠実な人柄でした。高校・大学と山岳部に所属していた父・慎二さんの背中を追いかけ、大田原高校で山岳部に入りました。進路希望調査には「絶滅危惧種を守りたい、生物を専攻したい」と書いてあったといいます。

これからの未来。当たり前に続くと思っていた家族の日常。雪崩は、一瞬にして、それを絶ちました。

「あの時、講習会を中止するよう連絡をすればよかった」
この8年、最愛の息子を失った悲しみ、守れなかったくやしさ…様々な感情が渦巻いていました。一方、事故の検証が進み、雪崩注意報の確認不足や急な訓練内容の変更など、引率していた教諭らの安全に対する認識不足が明らかになりました。

これまで本格的な登山の経験はあまりなかった道子さん。4年前からは山岳部のOBから誘われたことをきっかけに、譲さんが大好きだった大田原高校山岳部の登山に同行するようになりました。

「事故を防ぐ方法はなかったのだろうか」そして「これから事故を起こさないように何ができるのだろうか」。道子さんは山に同行して部の活動を見守り、その答えを探し続けました。これまで、大田原高校山岳部との登山は20回を超えました。

「初めてのときからそうなんですが、譲が後ろから押してくれている感覚。山に登るということが、半分無くなった私の心・譲と一緒に行くことなのかな、と勝手に思い始めて」

安全に向けた取り組みも体感しました。パーティーの1人が具合が悪くなった場合、全員で引き返す。顧問が1つの山に行くために下見を含めて3回登る。生徒がケガをした場合背負って降りることを想定し、何十キロもの荷物を持っていることも分かりました。

「取り組みをずっと見てきました。『安全な部活動になりました』と提示されるよりも、自分が見て、参加して、良くしていく過程を見た経験があったからこそ、心を立て直すことができた」

道子さんは、3年間でどんどん成長する譲さんの後輩を見て、自分の知識をさらに深めるため、登山者向けの講習会に去年から個人的に参加するようになりました。
「いろいろな側面から山を理解し行動することが、最終的には山の安全に結びつく。こういったことが、譲と一緒に安全登山を学ぶことなのかな」

22日は、大田原高校でも追悼式が行われました。遺族や県教育委員会、県高体連などが参加し、黙とうのほか、献花台に花が手向けられました。

大田原高校に設置されている慰霊碑の裏側には今年、事故の教訓や誓いが新たに記された碑文が完成しました。

その中の一文にはこう書かれています。「安全対策は一過性で終わらせることなく、日常の中で当たり前に機能するまで不断の努力を重ねることが『那須雪崩事故を忘れない』の本意である――」

一方、教諭ら3人は業務上過失致死傷の罪に問われ、去年、禁錮2年の実刑判決が言い渡されましたが、東京高等裁判所へ控訴しています。浅井さんは被害者参加人として公判で教諭らに「いつか山でお話を聞かせてください。これからの生徒たちに何をしてあげられるのか、一緒に考えてください」と訴えました。

「譲から、山での話をあまり聞けていない。だから私は、先生からそれが聞きたいんです。譲と譲の仲間が、山でどんなすばらしい経験をしていたか。どんな場所で、どんな人と、どんな話をしていたか。それを聞くことができたら、もっと前向きになれると思う」

道子さんは、体力が続く限り山に登り続け、教諭らと一緒に「これからできることは何か」話ができる日を待っています。
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