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【戦後80年】「七五三には帰りたい」兵士が家族に宛てた手紙公開 うつのみやの戦災展

太平洋戦争の末期、市街地の大半が焼失し620人以上が犠牲になった「宇都宮空襲」から2025年で80年です。

当時の被害の状況などを後世に伝える展示会が、7日から宇都宮市内で開かれています。

宇都宮空襲では、1945年・昭和20年の7月12日深夜から翌日の未明にかけて、アメリカ軍の空襲により市街地が焼かれ、620人以上が犠牲になりました。

宇都宮市は、この空襲を後世に語り継ごうと「うつのみやの戦災展」を毎年開いていて、宇都宮城址公園の清明館では関連する資料が約50点が展示されています。

また2025年は、太平洋の島国パラオにあるペリリュー島で戦死した、宇都宮市出身の兵士・高橋信吉さんが家族にあてた手紙11通が初めて公開されました。

この戦死した高橋さんの娘で、手紙を母親から引継ぎ保管していたのが、市内に住む宮下喜美代さん(83)です。

喜美代さんは2024年の戦災展に訪れた際に、手紙の存在を担当者に打ち明け公開するのを決めたといいます。

父親の信吉さんは、喜美代さんが生まれる2ケ月ほど前に中国東北部の満州国に出兵していて、手紙には愛する娘に思いを馳せた内容が多く記されています。

こちらの手紙には、翌年数え年で3歳を迎える喜美代さんの七五三姿を宇都宮で見たいという思いがつづられています。

1年後、その願いは叶わず、送られてきた手紙には、喜美代さんが3歳になった祝いの言葉と健やかな成長を祈った短歌が添えられていました。

『つつがなく 三歳享けし 愛子の 育みいのらん 産土の神』

喜美代さんは、この短歌を人生の支えとして胸に刻んできたといい、手紙を見た人にも家族の大切さを改めて考えてほしいと話します。

うつのみやの戦災展は8月31日まで宇都宮城址公園の清明館で開かれています。